言葉・言語の障壁が崩壊していく・・・人類が立ち向かう次の障壁とは?
今まで何度か言葉・言語の障壁を超えるデバイスやサービスなどを取り上げてきましたが、
SNSなどにもこの動きがどんどん広がっているという記事があったので取り上げます。
また、アプリに関してもこんなサービスがあるのを発見しました。
そもそも言語というのは意思疎通の道具だと考えています。
日本語、英語、韓国語、スペイン語、などあらゆる言語がありますが、共通して言えるのは言語体系があって、その言語を使って存在に対して名前をつけているということ。
例えば日本語であれば
「あ・い・う・え・お」という言語体系があって、その言語を使って
「りんご」という存在に名前をつけます。
同じように
「a・b・c・d・e・〜・z」という言語体系がって、同じりんごという存在に異なる「apple」という名前をつけます。
言語体系も名前についても、100%に近い人が共通して教わったものです。
自分で0から言語を体系化して名前までつける人は人類史でどれくらいいるのでしょうか。
話を戻して、言語の障壁はアプリやサービスを使えばリアルタイム変換され、どんどんその障壁を感じさせないようになってきました。
今後さらにそれがウェアラブルコンピュータなどにも実装され、コミニュケーションレベルでは気にならない程まで進化していくのは時代の流れでしょう。
そして、もう一歩先まで踏み込んで考えてみたいのが、
言語の障壁が突破され、コミニュケーションが円滑になるのかというと必ずしもそうではありません。
確かに言語レベルのコミニケーションは凄まじい進化を遂げるでしょう。
しかし、本質的には同じ存在を見ていても違った名前が付いている。
日本人には「りんご」という名前であっても英語圏では「apple」という名前。
そして、「apple」ひとつとっても日本人には
カットされてるりんごやりんごの木のように大きさの違うりんごをイメージしたり、
中にはアップル社や、mac book、スティーブジョブスなどをイメージする人もいるでしょう。
つまり言葉ひとつに対してはイメージが違っているということ。
言語の先にあるイメージレベルのコミニケーションは円滑にはなりません。
この一人ひとりが持っている観点、また一定の集団による共通の解析(ここでは日本語圏やアメリカの英語圏などをイメージするといいでしょう)すらも越えて交流できるのが本物の疎通・交流・循環であるとおもいます。
言語と言う普段見て聞いてるレベルの疎通交流から
個人の判断基準や観点、集団の観点という見えない本質レベルの疎通交流をもっと考えていく時代に突入したという見方もできますね。
21世紀はテクノロジーの進化に伴って言葉・言語の障壁が崩壊されていく時代です。
しかし、言語そのものを越えて相手の観点すらも越えない限り本物のコミニュケーションではありません。
そのためには、「観点の障壁」。
この問題をどう越えていくのか。
観点の問題の発見と解決方法がこれから重要になっていくキーワードです。
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