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ゴースト・イン・ザ・シェルの感想。『攻殻機動隊』の世界観は近未来で実現するのか?

4月7日(金)に公開された映画『ゴースト・イン・ザ・シェル』

 

この映画は、日本のアニメ『攻殻機動隊』が原作になっています。

科学技術が飛躍的に進化した近未来を描いており、今の時代の延長上に必ず実現するであろうということを感じさせる部分も多々ありました。

 

私自身が実際にこの映画を見た上で感じた感想やコメントなどを7つのポイント・キーワードで整理しておこうと思います。

※ネタバレの可能性大

※純粋に映画を楽しみたい方は閲覧注意です

 

 

テクノロジーが世界を滅ぼす

最近だと人工知能の登場にやって人類滅亡説が騒がれたりもしますね。

この映画の中でも「テクノロジーが世界を滅ぼす」というコメントがありました。

 

滅ぼすとい言っても地球や国家、人類そのものの歴史にピリオドが打たれるというよりかは、人間社会の秩序が壊れていく可能性は十分あるなという印象ですね。

 

・プログラムにバグが出て機械やロボットが自身で勝手に暴走して制御できない

・リモートで機械をハッキングしてコントロールする

・悪意のある人間がテクノロジーを使って悪さをする

 

こんなことがざっと挙げられるかなと思いますが

法整備がされるスピード以上にテクノロジーが進化しすぎてカオスになるということは十分に考えられます。

 

技術はあくまで道具。

なんにせよ、使う人間自身が何のためにどう使うのかということをテーマにしっかり考えていく必要があると思います。 

 

広がるAR技術

映画の中で描かれている景観は近い将来、本当に実現するのだろうなと思います。

街中にAR技術を駆使した広告があり、企業などの宣伝にも大いに活用されるでしょう。

 

また、時空間が離れた人同士をバーチャルで立ち上げて、オフラインで話しているかのように錯覚させることもできますし、

マウスやキーボードなどあらゆるものが仮想で立ち上がってこの現実を拡張していく流れは、これからどんどん加速していくのではないかと思います。

 

電脳化技術

映画の主人公である少佐は脳以外は全身義体。

インターネットに常時接続された状態でもある電脳化人間です。

 

常に外部の情報を取得したり、言葉を発しなくても電気信号でやりとりすることができる。

 

これは何を示唆しているのかを考えた時

 

映画の中でもありましたが

脳をハッキングしたり、

記憶を消したり、

脳にデータをアップロード・ダウンロードしたり、

 

サイバーテロの危険性なども大いに考えられるということかなと思います。

 

実際にこの映画でも、主人公がサイバーテロの捜査を進める中で自分自身の記憶が捜査されていたことに気づくようなシーンがあります。

 

自分が見ている世界

自分が立ち上げている認識画面

自分が正しいと思っている記憶

 

が絶対に正しいとは限らないということでしょう。

 

今の時代においても、体の中にチップが入るようになってきました。

 

自分の記憶は実は正しくない、絶対じゃない

何かのきっかけで作られたものなのかもしれない

 

そんなことを考えて見たら面白いですね

 

 

義体・義足・義手技術

ロボット技術の延長上にサイボーグという形があるのかもしれませんが

電脳化しなくても部分強化ということは今の時代でも十分可能ですね。

 

強化義手

強化義足

強化メガネ

 

など、人間機能を拡充して強化するというものは、実際に考えられています。

不完全な人間の体や機能の限界を補って強化するという考え方はあってよいと思います。

 

しかし、それがやっぱり何のためなのかということはしっかり持つべきなのかなと思いますね。

 

現実空間と電脳空間の境界線

義体・義足・義手もコンピュータ化され、電脳化されれば、全てが繋がっていくことになります。

 

現実空間とサイバー空間の境界線はどこにあるのか?

そもそも自我という感覚は一体どこで生まれるのか?

どういった法律があてはまるのか?

 

人間に注目して考えると

体というハードウェア心というソフトウェア

その境界線がどこにあるのかということ

 

現実や仮想が境界線がなくなって繋がっていくとき、

考えるべき問題や課題というのは深いなと感じます。

 

秘匿回線なども増えていくでしょうし

記憶情報のアップロード・ダウンロード

 

そんなことも技術の進化によって現実化していくのでしょうか。

 

 

何を持って人間と言えるのか

境界線がどこにあるのかという話の続きにもなりますが、

人間は見た目では判断できなくなりますね。

 

主人公の少佐は脳だけがオリジナルでそれ以外は機械。

しかし見た目は人間の姿をしているわけです。

 

それは果たして人間と言えるのでしょうか?

まだ、かろうじて人間という印象ですね。

 

しかし、脳自体も機械化されたけれど、本人の記憶や人格をコピーしたものだとしたらそれは人間と言えるでしょうか?

 

また、心臓が動いているから人間なのか?

 

映画での言葉では

全身を機械(シェル)に覆われ、唯一残された人間のパーツである脳(ゴースト)

ゴースト(霊)というものはどう定義できるのか。

 

「人間に対する再規定 」

 

が近未来における重要なテーマの一つになってくると思います。

 

形があるものは形がない?

形がないものは形がある?

 

意識、無意識、エゴという概念など

アイデンティティーに直結する本質深いテーマに突き進んでいくでしょうね。

 

そして、同時に人間の規定があった上で、

 

「人間はどう生きるべきなのか」

 

ということを同時に考えていく必要があると思います。

 

日本のアニメはスゴイ

 映像技術は改めて西洋はすごいなと感じますね。

ただ、日本のアニメの内容もあらためてすごいと感じます。

 

1989年に出た「攻殻機動隊」も当然のことながら、日本のアニメが今の時代にどんどん映画化されているということは、

それくらい日本の映画が深くて広い世界感があり、未来を十分イメージできる要素も詰まっているのかなと思います。

 

日本人の描く世界観には、比較できない何かが隠れているのは間違いないと思います。

 

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