未来を創る話をしよう

「0=∞=1」が基軸になる21世紀教育革命への挑戦

存在論と認識論

NTTのような大企業が、こういったことを発表するような時代になったのかと感じます。

 

タイトルはズバリ!

「この世のモノは見るまで存在しない”非実在性”」は巨視的世界にも当てはまる」

です。

pc.watch.impress.co.jp

 

冒頭の方で、この私たちが見える世界の本質について記述されています。

 

電子や光子などの極めて小さい素粒子は、その振る舞いが量子力学で記述される。そして、量子力学によれば、これらの素粒子は、普段は確率として、ぼんやりとした霧の塊ように存在しており、観測を行なうまではその厳密な位置や速度などの状態を確定できない。つまり、見ていない(観測をしていない)素粒子は、見るまでは存在していないとも表現できる。

 

つまり、人間の観測行為がなければ、存在は存在していないということ。

 

私たちの身の回りの存在は、観測主体の人間と切り離されて存在し続けているという”存在論”的な解釈は完全な謝り。

私たち人間の認識行為があるから存在が存在として認識できるという”認識論”的なモノの見方に変わって行くということでしょう。

 

そして、もっと深く考えるならば、私たち人間の認識主体そのものも素粒子の集まりである以上、

その存在自体も危ぶまれるということですね。

 

この非実在性(見るまでは存在しない)は、素粒子のような微視的世界では厳密な実験で実証されているが、人間スケールの巨視的世界では、例えば月の非実在性(誰も見ていない間は月は存在していない)というのは、通常の常識的にはあり得ないと考えられる。だが、本当に巨視的世界にも物理学的見地から量子力学的非実在性が当てはまらないのかどうかは、これまで未解決だった。

 

細かい実験データの話は正直全くわかりませんが、この記事から一言言わせていただくなら、

認識が全てだということでしょう。

 

存在があるから認識するのではなく

認識するから存在する

 

この認識の大転換がこれからの時代大きな人類歴史のターニングポイントになっていくのだと思います。

 

認識の時代がスタートしていきます!!

 

 

www.normal-japan.net

 

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