知識ではなく知恵が必要な時代
そもそも知識と知恵の違いって何だ?
生きる上で知識はどんどん増えていくけれど、それが知恵とはまた違うのかなと思いますね。
むしろ全く違うものではなかろうか・・・
今の時代に求められている本物の知恵
それは多様な情報知識を整理整頓し
今ここクリエイティブや創造性を発揮できるものであり
かつ、自由に活用応用できるものなのかなと思います
知識を教養する仕組みや教育はあったとしても
知恵を教養する仕組みや教育はほとんどない
例えば、誰もが通る道である義務教育のような学術的な教育体系は、ほぼ100%と言っていいほど暗記中心の単なる知識と言えます。
(これはこれで必要な教育だと思うので完全否定しているわけではありません。)
物事の公理や定理、方程式、一般常識を理解して覚え
その知識をベースに人間関係を構築したり社会を営んでいると言えますね
ただ、
天体の動きが今この瞬間の私の呼吸とどう繋がるのか
数学方程式が今この瞬間の私の考えや感情とどう繋がるのか
古文の意味が今この瞬間の私の行動とどう繋がるのか
そんな疑問もたまに感じることはありませんか?
得た知識を活用することができないし自分の人生に繋がらない・・・
以前、今の学校教育における課題や自分が理想とする教育というものを自分なりにまとめた記事があります。
興味があればこちらものぞいてみてください。
AI全盛時代に求められる知恵とは?
そんな問題意識を持っていたり
その問題に対して突破していこうと意思を持っている人は
今の時代にどれくらいいるのでしょうか・・・
生きる年数が増えれば増えるほど、知った知識や暗記した知識がどんどん蓄積される一方で
その知識が固定を作り邪魔をしてクリエイティブや創造性が発揮できない人も増えていると言えるのではないでしょうか。
しかし、今の時代に求められているのは知恵だと思います。
特にAIやロボットが仕事における多くのタスクや処理をこなすようになってくることを考えた場合
クリエイティブや創造性を発揮する知恵こそ時代に求められてくることは間違いありません。
機械的なオペレーション作業や危険を伴う肉体労働
ビッグデータ(判例や医療データ)を扱うような仕事や知的労働すらも
どんどんAIやロボット、機械によって代行される波は加速していくことは明らかです。
学校教育だけでなく
社会人になってからも
もっと言えば自分の人生の終わりまで
本物の知恵を学ばなければ
AI全盛時代を生き抜いて行くことは本当に厳しいのではないのかと思います。
改めて今どんな知恵が必要なのか??
私は、
全ての情報知識を整理整頓できる羅針盤のようなものであり
誰もが客観的な理解を通して
再現性を持って今ここ自由に活用応用できるもの
だと思っています
それは複雑であってはなりません
複雑を複雑で統制することはできない
究極のシンプルこそ
本物の知恵なのかなと思っています
この本を読んで改めてその価値と確信を深めることができました。
是非、同じような問題意識を持っている方にはオススメの一冊です。