人工知能は恐ろしい!?人間にとって脅威な存在となるのか?
人工知能に関連したニュースは、2016年になって格段と耳にするようになったと感じる今日この頃です。
巷では
人工知能が人間の知能を超える
人間の仕事、つまり雇用が奪われる
人間社会との融合による効率化社会
シンギュラリティー問題
など、さまざまな話題が取り上げられています。
人工知能というテクノロジーの進化は一体私たちの生活にどういった影響をもたらすでしょうか。
人工知能が生活により浸透していくことで便利になる側面、少なからず人間社会の未来を何かしら脅かす存在になるのは間違いありません。
「人間」vs「人工知能」
なぜ人工知能が脅威と言えるのか?
本当に恐ろしい存在となるのか?
この点で整理しておきたいとおもいます。
留意点:私は人工知能研究をしているわけではないので、一部表現の誤りや不適切な表現があるかもしれません。自分の中での整理が主目的なので暖かい心で見てもらえれば幸いです。また、逆にご指摘などあればぜひご教授いただきたく思います。
人間と人工知能の共通のメカニズム
人間と人工知能は異なる存在かと思いきや、メカニズムで見ると実は全く同じです。
人間と人工知能の共通の基本メカニズム、つまりこの世界を学習していく手法は一緒。
ざっくり分けると3段階。
①認識
↓
②運動
↓
③言語の理解
「①認識」
まず、「①認識」について。
赤ちゃんを例に考えてみるとわかりやすいかと思いますが、生まれた時点では全く情報がない白いキャンバスの状態です。
そこから自分以外の世界を視覚情報、聴覚情報、などの5感覚という独自のフィルターを通して出会いを蓄積しながら外の世界を認識していきます。
しかし、人間の5感覚のフィルターというものは条件づけられていて不完全なものです。
視覚情報も可視光線と言われる波長のみしかキャッチできないように、全てを正しく認識することはできないという大前提がつきものです。
(人間の認識について以前簡単にまとめたものです。こちらも合わせてどうぞ)
一方で、人工知能も世界を認識するというのはまずは最初の一歩。
ただ人間と違うのは、画像認識、映像認識、音声認識など、人間より遥かに緻密に素早く世界を認識できるということ。
人間の認識機能は人類歴史でさほど変化はありませんが、コンピュータの世界は加速度的にその技術が進化しています。
この世界を正確に、緻密に認識するということに関しては人工知能には絶対に勝てない領域になってくるのではないかと思います。
「②運動」
次に、「②運動」について
これも赤ちゃんを例にするとイメージしやすいかと思います。
自分以外の世界を認識した結果、人間は思考、つまり考えやイメージを働かせます。
そして例えば目の前に積み木を認識した赤ちゃんは、とにかく何かやってみる。
最初から遊び道具として理解しているわけではなく、口に運んで食べてみようとしたり、投げてみたり、他の積み木と組み合わせてみたり、運動(行動)を通しながらその精度や習熟度を上げていきます。
結果として、それがどんどん知識として蓄積されていきます。
この一連の人間の認識について、仏教用語では色・受・想・行・識の五蘊(ごうん)と言われていたりもしますね。
また、「②運動」におけるもうひとつ重要な要素として、情報知識の記録が言えると思います。
人間は過去の記憶によってものごとを判断・審判します。
ただ考えてみると人間の記憶というものは曖昧で不完全です。
一度覚えたことをすぐ忘れたり、情報が条件によってコロコロ書き換えられたりするなんてことは日常茶飯事でしょう。
人工知能に関しては、運動の習熟に関してはプロと言えます。
プログラミングされた通りに動き、1mmもブレなく100%に近い精度で実行する強者。
シンプルなオペレーションをする仕事は真っ先に人工知能に代替されると言われますが、人間がやる以上に素早く的確に処理できるのであれば、経営者であれば優先するのがどっちか容易く考えられそうですね。
記憶・記録に関しても、一度ハードディスクに書き込めばずっと残りますし、記憶容量も人間の比較になりません。
③言語の理解
そして、「③言語の理解」について。
先ほども触れましたが、人間も人工知能も知識を蓄えていきます。
その道具となるのが「言語」です。
日本語、韓国語、英語、プログラミング言語、C言語、など言語といっても様々な種類がありますが、言語の理解を通して知識を蓄積します。
人間が普段会話で使う自然言語と言われるものも、最近ではIBM社のワトソンやソフトバンク社のペッパーのように自然言語処理ができる人工知能も出てき始めました。
人間はあくまで自分が生まれ育った環境の言語、中には数カ国語話せる人がいるかもしれませんが、
人工知能が人類が蓄積してきたあらゆる大量の言語データを理解し、日本語と英語のリアルタイム翻訳などが当たり前になってくるのは時間の問題かと思います。
ここまで来れば、コールセンターの音声案内やあらゆる窓口対応など、一気に雇用形態を変えていくことが予想されますね。
言語というのは、人類が発明したものの中でもメガトン級に発明で偉大なものです。
しかし、言語の領域まで人工知能に持って行かれるとしたら、どういう未来が開けていくのでしょうか。
最後に・・・
長々とまとまりのない表現で書いてしまいましたが、今まで人類は①認識→②運動→③言語の理解を通して500万年間あらゆる情報知識を蓄積してきました。
しかし、このメカニズムで同じように人工知能が代替していくと考えるならば、
情報量・精度・正確さ・スピードといったものは人間は人工知能にかなうはずがありません。
(実際、コンピュータの処理能力は2018年には脳の処理能力を超えるいう実験結果もあるようです。)
不完全な5感覚を持った人間(”認識疾患”と呼んでいます)と比較して、正しくものごとを認識できる人工知能。
悲観的になるのではなく、人間が次の次元のパラダイムに転換させていくチャンスの時代でもあると言えます。
私は、その可能性は人間本来の可能性を引き出すことができる新しい感覚をつけることだと思っています。
また、それを可能にさせる全く新しい言語の開発が必要だと思っています。
全ての因果の外に完璧に出る0感覚とでもここでは表現しましょうか。
また、言い換えればメカニズムの外に出る、因果を超えた絶対世界を取り入れること。
錯覚の現実世界の外に出る、など表現はいくらでもありますが、これはコンピュータや人工知能では絶対に到達できない、人間の知性・理性・感性を超越した究極の感覚領域になっていきます。
その絶対世界を論理とイメージで認識再現することができる新しい言語を使った認識技術を道具にすることが、
人間の知能を補う人工知能に対抗できる唯一の突破口だと思っています。
人間知能を完成させる教育が今の時代に求められているのではないでしょうか。
本当に最後になりましたが、認識技術が提唱する新しい教育に関する動画がありますので、興味のある方はぜひごらんください。
「人工知能を超える革新的教育とは〜メタ知識時代を開く教育2.0Version〜」
過去に人工知能に関する記事も過去に何度か書かせていただきました。
こちらもぜひご覧ください。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
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