科学のアプローチが限界ということ
何を教えるべきなのか。
何を知るべきなのか。
その根本の教育が変わらなければ、教育の仕方のようなシステムを変えても意味がないと私は思います。
海外の教師に関する記事ですが、現場教育に悩みを抱えている方は本当に多いと思います。
記事中に興味深い言葉があったので、引用しますね。
「我々の身の回りには、科学と関係ないものは何もありません」
「自分の身の周りのものがどのように機能するのかを生徒が知ることが、わたしにとって非常に重要なんです」
科学に注目しているのは面白いですね。
人間の体も何兆個かの細胞が集まって生命になっているし、精神体である人間の仕組みは科学そのものかもしれません。
私たちの日常生活においては、本来はすべてが関係し合っています。
宇宙自然・歴史文明もそう
自分たちに全く関係ないものなんて一つもありません。
そもそも私たち人間の思考というものは複雑を見る癖がありますね。
統一理論を求めていることからも、複雑からシンプルに辿りつこうとしているのが科学のアプローチでもあると整理できるでしょう。
しかし、そのアプローチ自体は本当に正しいのか?
複雑から出発するのではなく
シンプルから複雑を見ていくこと
このアプローチができないと
科学も数学も物理学も、
哲学、宗教、思想も
政治、経済も
それらを統合した学問や教育というのは誕生しません。
逆に、究極のシンプルが定義できたとき、
全てが自分と繋がった全く新しいモノの観方ができるのではないでしょうか。
そのためには、「問題解決能力」以上に「問題発見能力」です。
なぜ、人間は複雑に物事を捉えるのか。
多様な問題の根本原因はなんなのか。
問題のDefine能力が必要になってきますね。