未来を創る話をしよう

「0=∞=1」が基軸になる21世紀教育革命への挑戦

死んだ人はどこで生きるのか?

今日は納骨へ行ってきました。

 

肉体的、物質的な死を考えた時、父親の生命というのは2年前に一つの区切りを迎えました。

ただ、自分の意識空間の中では今でも間違いなく生き続けています。

 

親だけでなく、祖父・祖母も、出会ったことのない先祖代々も。

そして、歴史の偉人たちもそう。

 

物質的な出会いはしたことがなくても、意識空間の中では自由に存在させて生かせることができますね。

 

人間というのは、本当に不思議な生き物だなと痛感。

 

お寺の参拝、お墓まいりなど、仏壇の前で手を合わせる。

いろんな形はあるけれど、いずれも思い出すきっかけづくりであって、そこに存在そのものはありません。

 

自分自身がどう認識するのか?

認識=存在の価値!

 

日常のあらゆる場面で感じます。

 

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