死んだ人はどこで生きるのか?
今日は納骨へ行ってきました。
肉体的、物質的な死を考えた時、父親の生命というのは2年前に一つの区切りを迎えました。
ただ、自分の意識空間の中では今でも間違いなく生き続けています。
親だけでなく、祖父・祖母も、出会ったことのない先祖代々も。
そして、歴史の偉人たちもそう。
物質的な出会いはしたことがなくても、意識空間の中では自由に存在させて生かせることができますね。
人間というのは、本当に不思議な生き物だなと痛感。
お寺の参拝、お墓まいりなど、仏壇の前で手を合わせる。
いろんな形はあるけれど、いずれも思い出すきっかけづくりであって、そこに存在そのものはありません。
自分自身がどう認識するのか?
認識=存在の価値!
日常のあらゆる場面で感じます。