印象操作する側される側も知るべき印象が生まれる構造
多くはメディア、国会などで使われる
「印象操作」
という言葉。
「第三者に対して、出来事や人について良い印象を与えようとする事」
なのですが、
この意味について
印象操作をする側・される側関係なく
”印象というものが生まれる構造”を
しっかり押さえておかなければならないと思いますね。
印象が生まれる構造
印象といっても個人一人ひとりがそれぞれ受ける印象は当然違うし
集団というくくりで受ける印象も多少は違う
例えば、総理大臣というポジションに対しても
国民一人ひとりが思う印象と
国会議員一人ひとりが思う印象は違うようなものでしょうか
・個人の主観的の印象
・集団の主観的の印象
こういったくくりでわけられるのかなと思います。
そして、また別の角度から考えてみて
それぞれの主観的の印象が生まれる背景をもう少し詳しく整理してみましょう。
①考え
②感情
③ロジック(論理)
④イメージ
⑤アイデンティティー
印象という結果の裏にはこのような構造が隠れています
(⑤アイデンティティーが一番深く、①考えが一番浅い)
⑤アイデンティティ・・・
これは自分が何者なのか?自分自身をどうセッティングするのかというものです。
国民一人ひとりというアイデンティティーなのか、国会議員というアイデンティティーなのかで総理大臣という印象が大きく変わってくるように、一番の根っこにはこのアイデンティティーというものが隠れている
④イメージ・・・
イメージというのは、自分の脳の中で作られたイメージ
総理大臣という単語から勝手に想像するその人にしかわからないイメージが生まれますね
境界線が曖昧で伝達が難しいものです
③ロジック(論理)・・・
イメージのものとで、「○○はxx」という論理を展開する。
「総理大臣は大変だ」
「総理大臣は偉大で憧れられる人だ」
単に人や存在に対してのロジックもありますし、出来事に対してのロジックはもっと複雑です。
国会中継などを見るとこのポイントで白熱するのかなと思うのですが、何が事実で何が思い込みなのか。
集団として客観的で正しい論理を展開できるのか、主観的な論理を展開するかで大きく変わってくるポイントですね。
②感情・・・
イメージ、ロジックが展開されれば、次は感情が生まれる。
ムカつく、好き、嫌い、良い、悪い、興味・関心のありなし、など
100人いれば100通りの解析があって当然のもの
①考え・・・
最後に行動に移していくための考えが生まれる。
というように、この構造は実はコミュニケーションの構造でもあるわけですが、
この構造の全体像を持つことは本当に重要だと思います。
印象を自分で作るか作られるのか
印象が生まれる構造を自分の中で持っていないとどうなると思いますか?
印象があっているのか間違っているのかの判断もつかず
印象操作されてしまうということになりかねません
単に与えられた情報をそのまま鵜呑みにするのではなく
自分はなんでその印象を受けるのだろうか
逆にどういう意思で印象を刷り込ませようとしているのか
その背景を見ることができるようになってきますし
自分は○○だいう自分オリジナルの意見を持つことができますね
別に正解や不正解があるものでもありませんが
与えられたものを100%正しいとしか判断できないということは本当にヤバい。
共有共感もできる
否定肯定もできる
その自由なポジションに自分が常にいることが
重要なことだと思います