21世紀の新しい人間観
「わたし」という存在は、
どんな素材
どんな仕組み
どんな目的
で成り立っているのでしょうか。
こういった哲学的な問いに対しての答えについて、様々な見解があると思いますが、未だに人類がこれだという共通の規定・答えが出せていないのが実態ではないでしょうか。
下記の記事では、公開から一週間で200万再生を突破したと話題になっている映像を取り上げていますが、本当に21世紀は新しい人間観の規定が必要な時代になってきました。
「トランセンデンス」という映画が非常に面白いですが、人間の意識をコンピュータにアップロードするような時代になった時、
自分の体という物質的な存在は存在しなくても、意識というレベルでは存在します。
アップロードされた自分の意識が残っている状態、この意識体である状態は「わたし」と言えるのでしょうか。
また、猿の頭部移植実験について、先日記事を取り上げましたが、
今の時代ではすでに技術として成功しています。
そして、この技術が2017年にはもう人間に適用される可能性があるということ。
人間の意識は脳に依存するのか、体や心臓に依存するのか?
頭部が入れ違った時に、「わたし」という存在はどちらになるのか?
科学技術の進化に伴って、「わたし 」という境界線が不明確な世の中になってきているのは確かです。
また、攻殻機動隊のようなアニメのように、義肢や義体が当たり前になったときにも、
「わたし」という存在がどこに帰属するのかはわからなくなってきます。
21世紀は、人間観や人間のアイデンティティーに対して新しい答えを導かなければならない時代に来ています。
そして、それが単なる部分の理論だけの答えではなく、すべての理論がNoの言えない究極の理論体系でなければ本当の答えではありません。
これからの時代は面白い時代になってきました。
物理学・数学・科学のような世界、そして宗教・思想・哲学のような世界
これら相いれないと思っていたものが統一され、どこか1点にきれいに集約されていくような気がします。
部分の存在の部分の変化だけを見る五感覚に固定したモノの見方ではなく、
全体全部が繋がった分離のない境界線がない世界をイメージできることが、真理に到達する近道だと思っています。
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