なぜ過去の人物を讃えるのか・・・
時代はいつも、過去の土台の上で成り立っている。
その中で
歴史に残る偉大な発見をした人
発見から人類が道具に使えるまでの発明をした人
偉大な功績を残して来た人
いろんな分野で讃えられますね。
思想の分野についても
仏教では釈迦
キリスト教ではイエス・キリスト
孫子の兵法は、経営にも通じるものとして、今もなお経営者たちに愛されています。
科学で言うと、ニュートンやアインシュタインなどは誰もが人生で一度は耳にするでしょう。
精神世界、哲学だけでなく、科学においても
過去の人物を讃えているのは間違いない事実ですし、私自身もその一人です。
ただ、改めて現在地を客観的にみたとき、科学と宗教が統合できていない。
学問が細分化して、すべての学問を統合した統一理論やグローバルスタンダードの教育ができていない。
そのことについてはどう捉えればいいだろうか・・・・
それは、結局は全てが不完全だと言わざるを得ない。
部分の理論
部分の体系
いくらそれらが正しくても全体全部の理論・体系が完成していない。
これが人類歴史の大きな課題だ。
自分の師を超えてこそ、その師が本物だったと証明される。
オリジナルをコピーでき、オリジナルを超えていくものこそ本物だと言える。
歴史上の偉人、悲しみや限界を引っ張って、すべてを底上げしていける”本物”を創っていきたいと切に願っています。