日韓を超えて共通土台となる教育の価値
一番近くて一番遠い国と言われている日本と韓国
領土問題、歴史認識の問題など色々取り上げられていますね。
元々はそんなことにほとんど関心はありませんでしたが、やはり今の世界情勢などを聞くと自分も無関係ではいられないなと思い少しずつ興味をもつようになりました。
韓国では反日。
日本では嫌韓。
お互いに国は違っても一人一人の人としては、毛嫌いすることが少ないかもしれません。
しかし、単位が国になった時に違う感情を持つ人も少なく無いと思います。
例えば、サッカーの試合での代表選。
「絶対に負けられない戦い」
とメディアも騒ぎたてます。
話は戻して、この国家間の問題についても、その問題の本質は一体どこにあるのでしょう。
そもそも、この問題を解決していくには、
なぜ違いが生まれるのか?
という部分にアプローチしなければなりません。
日本と韓国という違い。
違いから出発するから摩擦衝突が生まれます。
相対世界の「2」の世界は
出会える喜びの反面、条件によっては摩擦・衝突・争いが起こります。
日本も韓国も、その土地、その文化から見たらどちらも正解。
それぞれの立場での思考方式や論理展開があるわけで、その観点から見たらどれも正解。
どちらも間違っているとか正解とかいうことは決めれるわけがありません。
ただ、その両方を否定しているという意見でもありません。
私が言いたいのは、もっと究極的な、そもそもの分離が起こるメカニズムを共通土台にして、
その土台の上で互いの違いの良さを活かしあって行きたいということです。
人間は脳を持って思考を展開する以上、因果の中に縛られて生きる生き物です。
その因果の中に縛られることが究極の根本原因です。
違いで出発する「2」の世界ではなく、
全てがつながった絶対世界の「1」を共通土台に持てる教育。
因果を超える教育革命が、日韓だけでなく世界を一つに繋げて行く究極のツールだと思っています。
条件によって変化しない絶対世界の「1」の世界。
「1」の素材、仕組み、メカニズムを論理とイメージで誰でも理解できるようにした認識技術が時代のニーズになっていけばと改めて感じました。