熊本地震の報道で思う情報の大氾濫時代における情報の価値。
4/14に熊本地震が発生して一週間が経とうとしていますが、各地で被害が拡大しています。
お亡くなりになられた方々の御冥福をお祈りすると共に、被災された方々に対し、心よりお見舞いを申し上げます。
この一週間で感じるのは、熊本地震関連の報道の中で飛び交う情報の価値やメディアのあり方についてです。
ニュース
メディア
など様々な形で情報が発信されています。
被災地の映像や、被災者の方のコメントなどが報道されるのは悲しさもありますが
日本各地で募金活動や支援物資を送る姿なども見ると
日本という集団の協力体制は他の国では見られない確固たるものだなと感じますね。
しかし、メディアやSNSで様々な情報がすべて正しく送り届けられているとは限りません。
この地震報道の裏では、「刑事司法改革法案」が参議院で可決・成立されたとの噂も聞きますし、
本当に「どんな情報をどんな精度で、いつ誰が発信するのか?」。
何の情報が正しいのか?事実情報なのか?
出所がわからない情報もたくさんありますし、
この情報の大氾濫時代における「情報」というものに可能性と恐怖を感じます。
一昔前までは、こんなに簡単に様々な情報と出会うこともありませんでしたが、
今の時代では取りに行かなくても勝手に情報が入ってくる時代です。
また誰もが簡単に情報を発信することができるような時代でもあります。
発信する側の真意も汲み取りながら、受け取る側は情報知識の整理整頓も必要になってきますし、
一人一人、また集団や国家としても「情報」というものの取り扱い方や向き合い方を考えていく必要があると感じます。