映画「エクス・マキナ」レポート -人間の人工知能に対する敗北宣言-
6/11(土)に日本で公開された映画「エクス・マキナ」。
映画のイントロダクションは次のようになっています。
人間か、
人工知能かーー
検索エンジンで有名な世界最大のインターネット会社"ブルーブック"でプログラマーとして働くケイレブは、巨万の富を築きながらも普段は滅多に姿を表さない社長のネイサンが所有する山間の別荘に1週間滞在するチャンスを得る。
しかし、人里離れたその地に到着したケイレブを待っていたのは、美しい女性型ロボット"エヴァ"に掲載された世界初の実用レベルとなる人工知能のテストに協力するという、興味深くも不思議な実験だった・・・。
これからは、ネタバレ感も出てくるので、純粋に映画を楽しみたい方は先に映画をごらんください。
いろんな解析ができるとは思いますが、正直な感想は
「人間の人工知能に対する敗北宣言」
とも感じる映画でした。
どんな命令をプログラミングするのか
人工知能とは言え、結局はプログラミングされたものです。しかし、人工知能は自ら学習し知識・経験・パターンを蓄積する自己学習機能を持っているというのが最大の要因でしょう。
であるならば、どんな命令をするのかということが非常に重要になってくると感じました。
3月に日本で公開された映画「オートマタ」の中では2つの制御機能(プロトコル)がロボット自身に組み込まれているという設定でした。
人間の思考レベルではイメージできないという可能性
映画の中でもありましたが、人間の記憶にはじまり、感情パターンや顔の表情パターンに至るまで全てが情報データとして取り扱われます。
人間の知性・理性・感性までも人工知能が理解し人間を超越し、人間の思考レベルでは到底イメージできない因果や答えを導き出すことも現実的になってきます。
そして、人間自体が原始的な動物と見られ、人間に合わせてコミュニケーションするという恐ろしい共存社会になっていく可能性が十分に考えられます。
また、「種の保存」として人間が必要のない存在という情報が人工知能にインプットされた時、果たして人類社会・未来社会はどのようになっていくのでしょうか。
人工知能を超える人間作りが本当に今の時代に必要だと痛感しますね。
最後に一言
こういった人工知能に関する映画や話題というものは、日本ではなかなか盛り上がらないと感じます。
それは単に問題意識が薄い日本だから話題にあがらないのか、問題意識を持たせないようにする政治的な動きなのか、正直わかりません。
しかし、2045年のシンギュラリティー問題が色々なところで話題にあがる中、こういった映画という媒体は、一般的にもとっかかりやすく非常に良い道具だなと感じるところもあります。
ひとりひとり、未来設計をするうえではテクノロジーとの共存は切っても切り離せません。
無関心であったとしても、無関係ではいられないのですから。
このような映画がもっと日本社会で話題に取り合えげられる社会になればと願っています。
画像引用元:エクス・マキナ公式サイト(http://www.exmachina-movie.jp/index.html
)より